思想だけを読んでいても、ハードボイルドはなかなか体に入らない。人間は理屈より先に、映画の一場面や、小説の主人公や、古いコートの立ち姿に心を奪われることがある。俺はそれでいいと思っている。憧れには入口がいる。
ただし、映画も小説も小道具も「ハードボイルドっぽさ」の証明書じゃない。面白いのは、その奥にある選択だ。なぜマーロウは損をしてまで友人を見捨てなかったのか。なぜサム・スペードは欲望と仕事を切り分けるのか。なぜフィルム・ノワールの暗い画面に、ただの悲観とは違う魅力を感じるのか。具体的な作品を見ながら考えた方が、ずっと早い。
文学、映画、人物、装い。この四つの入口から、それぞれ違う角度で覗いてみよう。気に入ったところから入ればいい。
文学に見るハードボイルドハメット、チャンドラーなどの作品から、選択と代償を読む。
映画に見るハードボイルド画面、沈黙、敗北の仕方まで含めて映画を観る。
ハードボイルドのアイコンたちマーロウ、スペードなど、人物のどこに憧れるのかを考える。
ハードボイルドの装いと小道具コートやタイプライターを入口にして、中身へ進む。
映画に見るハードボイルド画面、沈黙、敗北の仕方まで含めて映画を観る。
ハードボイルドのアイコンたちマーロウ、スペードなど、人物のどこに憧れるのかを考える。
ハードボイルドの装いと小道具コートやタイプライターを入口にして、中身へ進む。
小道具は人格を作らない。だが、憧れの扉くらいは開けてくれる。